忍者ブログ
管理人・大王改めご隠居の日常を垂れ流す日記
| Admin | Write | Comment |
カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
プロフィール
HN:
ご隠居
年齢:
50
性別:
男性
誕生日:
1974/03/25
趣味:
多趣味
自己紹介:
多趣味器用貧乏なクリエイター崩れ。
細々と趣味をやり漁る。
忍者ポイント広告
最新コメント
[02/07 ご隠居@管理人]
[02/06 良月]
[01/01 R&R]
[08/13 ご隠居@管理人]
[08/12 R&R]
カウンター
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

私の辞世の句は決めてある。
剽窃呼ばわりされても構わない。過去にあった、辞世の句を、そのまま自分にも用いようと、決めた。
ひとたび目にしたその句が、心の奥底深くに、刻まれたから。
『何を惜しみ、何も恨みん
ただ、この有り様の、定まれる身に』
戦国時代、毛利元就に厳島合戦にて敗れ死した、陶全キョウ晴賢の辞世の句として伝えられる一文である。最も、厳島に碑として残るその文言は、陶晴賢のではなく、後世の創作とされる意見が強いが、この際それはどうでもいい。
何を惜しむでもない、恨むわけでもない。最初からこうなる事は決まっていた身なのだから。
つまりは、末期の際に、後悔をしていない。
死に際してこう言える、そんな生き方であろう、というのを自らの目標としている。
私が相談などを持ちかけられた時によく口にするのは、後悔と反省は違うよ、というもの。
後悔から反省に導かれる事はままあるが、後悔は基本、悔やむばかりで先に進まない。止まった位置から後ろにしか視線がいかない。
対し、反省は、省みて、前を向く。視線が、前にある。
あの時ああしとけば、という後悔は、何にもならない。あの時、に戻れるはずはないのだから。
あの時ああ「しなければ良かった」、は後悔から導かれた反省とはなる。
私にだって、後悔はある。昔の話だけどね。
多くの場合で、「やらないで」きた。
何も、生み出さなかった。
そしてほとほと思った。やらないで後悔するくらいなら、やったほうがいい。
例え失敗したとしても、やる、と前を向いて決めたのは自分だ。責任は自分にしか帰さない。やらない、という決断も時には必要だ。ただ、その決断を悔いるな。
そう、自分に言い聞かせて、これまでの人生、歩んできた。
勿論、先に進もうとするだけがいいわけではない。蛮勇と勇気は全く別のものだ。そしてそれを区分する際に、それまで得た反省が生かされる。
今、ここにいる自分は、自らの決断の積み重ねであって、他者になんら責任が帰するものではない。
第三者要因が絡んで、自分の意に添わない状況に置かれている人もいるだろうが、そちらを選んだのは多くの場合で、自身なのだ。
何故か不意に、心を去来した「どうしようもない焦燥感」に対し、私が普段から思っている事を吐露して、ちょっとでも、自分を落ち着かせよう。そんな文でした。
PR
この記事にコメントする
NAME:
TITLE:
MAIL:
URL:
COMMENT:
PASS: Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする
≪ Back  │HOME│  Next ≫

[368] [367] [366] [365] [364] [363] [362] [361] [360] [359] [358]

Copyright c ご隠居の日常。。All Rights Reserved.
Powered by NinjaBlog / Material By 深黒 / Template by カキゴオリ☆
忍者ブログ [PR]