先だっての4月28・29日、一泊二日に渡って行なわれた、宿泊コンベンションin蝦夷(略称宿コン蝦夷)。
軽くでもレポートしてみようと思う。
前回はあまりに色んなことがありすぎて(^_^;)、レポートしようにも難しい、という形になり、尻込みをしてしまったのだが、今回、ブログの中、という形ではあるが、サラリとでもまとめてみようと思う。
さて、宿泊コンベンション実行委員会という大仰な名前から、Raken Reichと名を変え、行なわれた二度目となる今回の宿コン。
これまでの宿コン実行委と、現Raken Reichとの最大の違い。それは、
・公的にスタッフが増えていること
と、
・道南を離れていること
の2点。
宿コンは1番最初、今は無き函館の某TRPGサークルに私が属していた頃に、私が主導で行なわれている。
その頃はサークル、という形だったのもあったし、集まった人数も少なく、しかもほぼ身内、ということで、苦労は現在のソレとは雲泥であった。
今思えば失敗、といえる、その宿コン。
再び私が「宿コン」に動いたのはそれから数年後のこと。
立場はフリーランスとなり。(ただ、会場へ貸し出しの申請をするのに便宜上でもサークル名が必要だったため、身も蓋も無い名前を付けたのだ)
宿コンに賛同して、「是非スタッフします」と言ってくれた、現在も参加スタッフとして協力していただいているよっしー氏他1名がスタッフとして、私の指示やお願いやら、に答えてくれた。
しかし、その体制は、スタッフとしてやってくれていた、よっしー氏他1名が函館を離れることであっさりと消滅。
その後、私個人主導になるも、行き詰まりを覚えたのもあって、活動を休止。
休止してから丁度三年後、むくむくと熱意が湧いてきたため、活動再開。
あくまで「本家スタッフ」は私一人で、それ以外の「スタッフ」はいわばその場しのぎのお手伝い、という形。
このほうが運営的に楽だったからこその形。
ヘンにしがらみを持つことで、幅を狭めたくなかった、というのもあった。
が、同時にそれは私個人の統率力、把握力、管理能力が問われる場ともなり。
楽しいが、キツイ。
年をおうごとにキツサが増した、というのもあって、やめようかな、と思っていた時に、「イベント」発生w
Raken Reichとして、活動を始める形となった。
……あれ。レポートのハズが。宿コンの簡易歴史の解説にしかなってへんやんw
本編は次回以降に。
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