日本国内の政治だとか、の話しなんですけどね。
そもそもは戦後に遡る話し。GHQは、日本人の競争力、闘争心を抑えるように、逸らすように、教育を変化させたわけで。日本人はその抑えつけられた闘争心、競争力を国内に注ぎ、経済を生かし、現在より少し前、経済立国として成長するに至った。
ただ、そんな中にも国内において、闘争心の発露は存在した。安保闘争という、世代な人には懐旧を持って振り返る話しなれど、世代より後に生まれた人にはあまり知らされていない、話し。
安保闘争以後に生まれた子供(私含む)は、(安保闘争という反省を生かした)教育の成果もあって、すっかり闘争心、競争心をもたない、飼い慣らされた、「無気力」という世代を生んだ。
そもそもGHQがそう指向し、国内の政治屋がそうなるよう仕組んだわけだ。
GHQのそれは、戦争という暴挙に再び打ってこない為に、日本という国の人間性・民族性を変化させる必然があったが為の措置で、GHQ解散以後の国内の政治屋が仕向けたそれは、国内の人間を上手く飼い慣らすためのシステムづくり。
それらのシステム、という枠づくり、という概念だけなら、うまい成果があがった、といえる。
現在の国内の官僚・および政治屋は、腐っている。
いったいこれまでに、どれほどの悪事が晒された?現在、騒ぎになっている年金問題とてそうだ。
正直、国家としては末期状態にあると思っている。
ただ、国内では、隣国韓国や、欧州にみられるようなデモなどは、殆ど見られない。これは「飼い慣らされた」成果であるのだろう。
どんな誤りがあろうと、世論としてデモがあったり、なぞは無い。せいぜいが特定権益が侵されようとしている集団が、その権益を守ろうとして、周囲や世論からあまり理解されないデモを行う、といった程度だ。
そもそも国内に住む人間が、現在の政治を壊そうとしていない。うまく飼い慣らしたものだ、と思う。これが欧州の他国だとするなら、もし、同じような状態になった場合、楽勝で数万人規模のデモが起き、当地治安当局と衝突、などとなるだろうに。
私の思考自体は少々過激に過ぎるのは、自覚しているし、理解している。
ただ、自己保身と自らの権益取得・維持に力を注いできた官僚と政治屋は、一掃しなければならないだろう。そしてそれらをしやすいように作り上げてきた国家のシステムも、壊されなければならないだろう。
ただ、内からのデモ、などという手段での突き上げが無い現状、自壊を待っている、という状態なのだろうか。
誰しもが現状の日本という国家が腐っていて、その頂上のシステムはとっくにだめになっていることはわかっているのに、誰も手を上げないのは、憂えるべき問題だろう。
不吉な物言いになるが、関東震災が起き、首都が壊滅的打撃を受けでもしない限り、現状の変化は期待できない。
壊滅的打撃をうける、ということは、政治屋どもはおろか、官僚も多くは巻き込まれるだろうからね。そうなって、はじめて政治屋でもも官僚も自らの既得権益の維持に奔走してばかりもいられなくなる。
そうでもしなければ変わらないだろう。甚だ残念な事ながら。
あまりにも迷走しつづける国内の諸問題に、私が思ったことでした。
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