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世代……便利な言葉であるw
今の若年層が「ゆとり」と揶揄されるのと同義で、私、もしくはちょっと上世代は「バブル世代」と言われてた。
無理やり人をある種の人種で括る、その中に「年齢・経験から」の物の見方でくくるやり方がここでの世代論であろう。
TRPG業界というこの極めて狭い業界内ですら、その世代云々は言われている。
TRPG業界で一般的に言われる世代わけは、ちょー大雑把にまとめると3つ。
箱D&D世代
SW全盛世代
FEAR世代
こうわけるのが多分一番ストレートだと思うw
SWが出る前の世代と、SWが出た後の世代、FEARが設立されてからの世代。
ハンドアウト論からいくとFEAR設立以前と以後での諍い(?)と考えられるわけだ。
逆説的ではあるが、キャラプレイが容認、認知された線引きも同じタイミングだと思う。
このキャラプレイと呼ばれるものの善し悪しの物差しは、「周囲にあわせられるか否か」にあると考える。
「自分のキャラはXXだからそんな事しなーい」と言い張るのは「周囲にあわせられない例」。「XXだけど、周囲や話に合わせる」のが「好例」。
GMが用意した話によって、自分の役どころを考えて立ち回れるのであれば、キャラプレイはいい、と思う。
例えば、自分のキャラクターが「冷酷非道な暗殺者」と仮定して。
そこに十代前半の少女が近づいてきたとして。
さてこれに対する対応は。
極端に分けると、「殺す」という選択と、「殺さない」という選択。
無論、GMのシナリオや、周囲の状況にもよるだろうが、高確率で「殺さない」ケースが常道であろう。
しかしながら、あわせられない人は、「いや、このキャラ冷酷無比だから、殺すっしょ」となりがち。
これをされると多くのGMは困ってしまう(笑)
だが、「殺す」という選択をしてしまう人の割合が増えてきてきている、そう、良識派を内心で自認している人は感じているのであろう。
これは極端な例えだが、集約すると、こうなるんじゃないかな。
ただ、ここに逆の考え方もある。
先ほどの例から、クラシックスタイルのD&Dなどに慣れてしまった人が、「キャラクターの性格第一」で「殺す」という場合があるのだ。
ダークカオスなキャラクターは、助けるなんてしちゃいかんのである。性格が変わってしまうからw
殺して身包みはぐ、がその場合の常道であろうし、捕まえて奴隷市場にでも高く売りさばこうとする、が一段上の常道なのだ。
そしてこのケースを「キャラプレイ的見地」からみた場合、「悪例」となる。
この件を世に問うたのは、初代SWリプレイでの山本弘氏。モンスターたちの交響曲。モンスターの子供を庇護しているところに、ファリスの神官が殴りこんできて、というアレ。
彼自身はSF作家であると思うし、「モンスターはやられ役」という考えに反発してのシナリオではあった、と思うが、以降、「いいキャラプレイの是認」がされるようになった、と私は考えている。
それを曲解して、「愚直なまでに自らのキャラを貫く」、わるいほうの例のキャラプレイも現出し、散見される結果となった。
んでまあ、以降、見られるようになったキャラプレイに対応する形で、「予めしてほしい基本対応を告げる」形のハンドアウトが現れ、時代に合わせた形で、FEARゲーが現れた……と。
違うかなぁ?
大本をひっくり返せば道徳観(しかも日本人固有の)などにも至るが、「世の中絶対に正しいもので構成されるわけではない」のだから、目くじらたてて云々騒ぐのもどうかという気もする。……とかいいつつ、この場で語っている内容も「騒いでいる」内容なのだがw
相手のことが理解できないから、世代という言葉で説明し、自ら(と周囲)に対して言い訳をしている。
世代論の根本はここにある、と信じている。
私も自己弁護、防衛本能に応じた言い訳をよくするので(爆)、別に議論するのは悪いこととはいかん。理解して歩み寄ろう、とするのならある程度の議論は必要だし。ただ、理解する気もないのに自分のいる世界が最高の高みだと信じて相手を破壊しようとするのはいただけない。そういった方には「棲み分けておくれ、別に近寄らなくていいから」と言いたい。
隣の芝生が青いからとやっかみで議論をふっかける? そんな相手は(相手の信じるキャラプレイを自らに課して)無視するか、ノしておやりなさいw
……と、まあ、こんな感じで、お茶を濁せたかな?w
私の意見も唯物ではないしー。一意見として捉えてくりゃれー。
……ってこんなもの、見てるヤツいるんかいな?w
ここまで色々書いといてなんだが、自分は「新しいものに順応してるつもり(もしくはしようとあがいてる)で、その実、ほとんど対応出来てない老害」なんだろう、ということに今更ながら気付いた(笑)
自らが痛い奴だ、という自覚はあるし、最近文章まともに書いてないから、多少の荒れ文は容赦してほしい(;*_*)
……まあここまで書いておいて放置するなんて、あまりにもあまりだし、浅いなりの意見つーか思惑?、垂れ流すのも、まあ…
ネタにはなるかな
というこってひとつwww
ベテランプレイヤーになればなるほど、キャラプレイへの抵抗がある、その比率が高い……と思われる。
ただまあ、最近出ているシステムの半数はキャラプレイ指向推奨(特にFEAR系)。
もう半分はキャラプレイを受け付け難いシステムで、ごくわずか、どっちつかずなシステムがある。
こういう状況になったのは、ひとえに「ユーザーが求めた」故だ。
mixi上のTRPGコミュで、私は「好きなシステム嫌いなシステム」というトピをたてた。
嫌いなシステムについてあまりクドクド書かんように、としたのは、荒れ防止がそのメイン。
まあ、それらの反応を見て、傾向を知ろう(一応、イベント屋だしね)、というのもあったから。
あの中で私も(別の人が)集計を纏めてくれたコメントの後にコメントをしているが、二極化は予想の範囲内だった。
後、同コミュ内で「ハンドアウト」と「世代論」がにわかに賑わいを見せた。
ハンドアウトについては、私は否定派でも肯定派でもない。強いて言えば緩やかな肯定派だろうが、なんでもかんでもハンドアウト、はイヤだな、ってだけ。
当該システムでのルールに無いのに、ハンドアウトを持ち込む、ってのはイヤよ、って。
そういう輩も、見たことはあるから。それはどうよ、って見てて思ったw
否定派には、「システムにおけるツールの一種なんだから、目くじらたてんのもどーよ」と思う。イヤならそのシステムを遊ばなければいいだけの話。選択の自由、アハハン♪(古)
アリアンロッドに後ほど追加選択ルールとしてハンドアウトがついた時には正直げんなりした口でもあるので、なにがなんでもハンドアウトー、という気にはならない。
んで、ハンドアウト否定派の多くは、D&Dに代表される「ロールプレイ」、つまり「役割」指向の人たちで、「キャラプレイは邪道」と、……まあ、無理やり括ると、一部で有名な馬場論者かなー、と見えた。
「キャラプレイが許されるか」が、世代論にも結びついているな、というのが私の見解。ああ、やっと話が戻ったw
……ここまで読み返してみて、うーん、話は戻ったけれど、このまま書き続けるととめどもなくなりそうな気もするなぁ、と思う。キャラプレイの良し悪しとかも触れなきゃならないし。
今回はこれくらいにしておくかなぁ。